1997年。大学3年にして留年が決まった僕は、失意の中にいました。
そんななか、ふと思い立ったのが、「誰もがうらやむ留年にする」計画です。
インドのカルカッタからトルコのイスタンブールまで、バックパッカーひとつで旅することにしたのです。――それこそ、沢木耕太郎の『深夜特急』ばりに。
人生初の海外旅行は、大学1年のとき。
じいちゃんとの中国2人旅です。
僕のじいちゃんは広島で中国語の通訳をしていて、広島大学の中国人留学生の世話もしていました。幼い頃、じいちゃんの家で中国人の兄ちゃんによく遊んでもらったものです。
そんなグローバルなじいちゃんでしたから、大学生になった孫が海外へ関心を持たないことを非常に心配していました。当時、飛行機嫌いだった僕をなんとか旅に連れ出そうと、「昔遊んでくれた留学生に会いに行こう」と誘ってくれたのです。
飛行機に乗るのは怖い、でも懐かしい再会はしたい……という思いから、僕は人生初フライトを決意します。そして、その先で触れた異国の文化に感激し、「もっと世界を知らなければ!」と価値観を180度変えて帰国しました。……じいちゃんの思うツボですね(笑)
おまけに、じいちゃんは筋金入りのバックパッカーで、中国滞在中に海外旅行のノウハウを徹底的に僕に教え込んでくれました。この知識が海外放浪中は本当に役に立ち、僕はバックパッカーの魅力に取り憑かれることになります。じいちゃんがいなかったら、きっと今の僕はいないでしょうね。
宿も交通手段も決めず、流れにまかせて旅をするバックパッカーの生活は、本当に楽しかったです。その後も渡航費を貯めるためにバイトをしては、タイ、マレーシアと次々に旅に出ました(一説には、これが留年の原因とも……(汗))。
しかし、これから語ります今回の旅は、約3カ月の長丁場。
5つの国を跨いでの移動となります。僕はまずバンコクにあるバックパッカーの拠点・カオサンロードに渡り、気合を入れるために丸坊主になりました。
――するとどうでしょう。街の人たちが口々に「Ikkyu! Ikkyu!(一休)」と親しげに呼んで、親切にしてくれたのです。さすがは仏教の国ですね!(笑)
さて、頭を丸めてすっきりした僕は一路、カルカッタへと向かいます。「じいちゃん、見てろよ!」と言わんばかりに気合を入れ、バンコク空港へと向かったのでした。
(つづく)