古今東西、日本全国のうまい漬け物を紹介している、日本漬け物紀行。
本日は、日本の首都・東京の漬け物を、改めてご紹介します。
ピックアップするのは、「福神漬け」です。
――え? 福神漬けが東京発祥だと、知らなかった?
奇遇ですね、僕もです(笑)
カレーの付け合わせとしても有名な赤い漬け物ですが、好きな方も多いのではないでしょうか。そんな「福神漬け」の誕生は、東京がまだ江戸と呼ばれていた時代。その秘密に迫ります!
福神漬けは画期的な発明品だった!?
今や、カレーの“おとも”として定着した、福神漬け。
現在、食卓に並んでいる「福神漬け」が登場したのは、明治時代にまで遡ります。
東京・上野にあった漬け物店「山田屋」が、10年もの長い歳月をかけて試行錯誤を繰り返して完成したのが、福神漬けなのです。
何が画期的だったかと言えば、野菜を醤油で漬け込んでいる点ですね。
というのも、明治時代頃の漬け物は、いわゆる「塩漬け」が主流でした。
塩分濃度を高めて日持ちするように、保存食としての役割も兼ねていたわけです。
そこに登場したのが、醤油で7種類もの野菜を漬け込んだ、この「福神漬け」です。
東京上野近郊で収穫された、7種類の野菜――大根・カブ・瓜・茄子・レンコン・しそ・なた豆が、最初に使われていたとの話でした。福神漬けを開発した山田屋では、材料にもこだわっていたことがわかりますね。
上質な野菜にこだわった結果
福神漬けを開発するうえで、当時の「山田屋」の店主・野田清右衛門は、素材にもこだわり、試行錯誤を繰り返していたそうです。上野近郊で採れる野菜を厳選し、なかでも上質なものだけを選んで、醤油漬けとして漬け込みました。
結果、明治時代では珍しく、多種多彩の野菜を漬け込んだ福神漬けが誕生。
塩漬けが主流の時代ですから、当時の食品業界には激震が走ったとも言われています。
のちに野田清右衛門は表彰され、現在も西日暮里・淨光寺に「福神漬発明者野田清右衛門表彰碑」が残っています。記念碑にも“福神漬”と書かれているあたり、明治時代に彼が与えた影響は、まさに“漬け物界の明治維新”とでも呼ぶべき偉業だったのでしょう。
ちなみに「福神漬け」という名前は、明治時代の作家・梅亭金鵞(ばいていきんが)がこの漬け物をたいそう気に入り、名付けたという説が有力です。この説によれば、七福神の一人・弁財天が祀られている、不忍池から着想を得たのではないか……とのことでした。
江戸っ子気質が生んだ、福神漬けの味は?
そんな福神漬けですが、パリパリとした大根の食感に加えて、そのほかの野菜の甘みや旨味までもが凝縮された漬け物として、なんとも言えない「旨さ」がありますよね。
他方では、福神漬けがカレーの付け合わせとして有名になったのは、明治35年頃とされています。当時、ヨーロッパ方面へ出航していた日本郵船の一等船室で、カレーの付け合せとして出されたのが、この“カレーと言えば福神漬け”の始まりだとされています。
ちなみに、みなさんはこの「福神漬け」、何と読みますか?
一般的には、「ふくじんづけ」がメジャーです。
全国的にも「ふくじんづけ」で浸透していますが、北海道や関西、沖縄などの一部の地域では、「ふくしんづけ」とも呼ばれているそうです。おじいちゃんおばあちゃん世代の方のなかには、まだこちらの呼び方で話す人もいるらしく……実に、歴史を感じます。
醤油をベースにしたあまじょっぱい漬け物は、子供でも食べやすい味。
そんな福神漬け発祥の店は現在、「酒悦」という名前に変えて今も営業中です。
ぜひ一度、足を運んでみてくださいね。