旅を終えた僕が大阪へと戻ったのは、8月末のことでした。
早速、友人たちに武勇伝をぶちまけたところ、尊敬の眼差しどころか「猿岩石、マネしたん?」などと口を揃えて言われる始末。――なんと、僕が日本を出発してすぐに『電波少年』なるテレビ番組が始まり、若かりし有吉弘行たちが僕のルートと丸かぶりのバックパックをしていたのです!
後からわかったことやけど、番組プロデューサーが僕と同じ沢木耕太郎の『深夜特急』に憧れてたらしい……との話。同じ思考の人間がいて、その人が僕より大物だったというわけですね。うーむ……嬉しいような、何かに負けたような、複雑な気持ちです(笑)
かくして僕は、大学生活に戻りました。
気候の違いかもしれませんが、アジア各国の空気中には、エキサイティングなエネルギーが充満してたような気がします。日本は穏やかすぎて、なんか物足りん……と。
……いや、気候のせいじゃないですね。折しも僕のまわりは就職活動のまっただ中で、みんな、大企業に就職して安泰な人生を送ろうと必死になっていました。
でも、僕がアジアで出会った人たちはロクな生活はしていなかったけれど、常に野心を抱いていました。彼らとの出会いの中で僕は、「将来は独立して、自分で商売をしよう」と考えるようになった気がします。
留年したことによって、結果的に僕は友人たちの就活をじっくり見て情報を得ることができ、自分の進むべき道をじっくりと考える時間を持てました。
――で、1年後に僕が選んだ就職先は、大手商社。
アジアが取引先なのと、「儲かるなら何してもええよ」と言われたのが決め手です。
「いずれ独立する自分にピッタリの修業先!」と思ったんですよね。
その後、大学を卒業して商社に就職した僕は、寮に入りました。同期の寮生は30人。初日の自己紹介では、なんと全員が「将来、独立志望」と語ってました。――でも現在、独立してるのは僕だけ。
別に彼らを笑おうとは思いません。組織に属して全力で働いてる間に、目指す夢が変わるのは何もおかしくないことですので。ただ、僕の場合は、あの旅で芽生えた信念が薄らぐことはありませんでした。
思うに、「夢の実現は、思い続けた時間に比例する」んやないかと。
若かりし頃の旅の記憶が、今も僕を支えてくれています。
【バックパッカー旅行記 完】