商売柄全国を飛び回る事が多い僕。普段飲んでる酵素が良く作用してくれているおかげか、出張が続いても疲れたりお腹の調子が悪くなったりという事は極めて稀で、その点はありがたい限りと思っています。
快調な胃腸に触発されて、出張の時の「ご当地グルメ」は僕の一番の楽しみになっていて、最近は「あそこのアレが食べたいから、そこに出張組めないかな」なんて考えてしまう事もあります。
数あるご当地グルメの中でも、僕の中でランキング上位なのは「名古屋めし」。そうです。あの「味噌攻め」の名古屋めしです。
味噌が大好きな僕にとっては、名古屋といえば正に聖地です。味噌を何にでも使ってくれる名古屋めしは僕の長距離移動の疲労を軽減させてくれる(まあ食べる喜びが9割ですが!)大切な相棒です。
ある時、名古屋駅で味噌カツ弁当を買って新幹線の中で食べようとした時にふと疑問がわきました。
「あれ?そういえば名古屋めしって、そもそもなんで味噌が多いんだ?名古屋は味噌で当たり前に思っていたけど、思えばコンビニのおでんにも味噌が付いてくるし、味噌おかずばっかりやん!なんで名古屋=味噌なん?」
疑問が湧くと解決するまでスッキリしない僕は、池上彰さんに聞きにいきたい位の衝動にかられましたが、グッとこらえて自分で調査。そしたら色々と面白い事がわかってきました。
名古屋めしが味噌で占められる理由とは?
名古屋といえば織田信長や徳川家康、豊臣秀吉(まあ、秀吉は大阪色が強いですが)が飛び回っていた土地です。
厳密には名古屋は尾張(織田信長色)、少し南の安城とか岡崎が三河(徳川家康色)となるのですが、まあこの際、この辺りは一緒と考えちゃいましょう。
でもって、味噌は三河の岡崎市、ここの八丁味噌というのが名古屋めしに味噌が多過ぎる理由を説明するキーになってきます。
時代は徳川家康がまだ偉くなる前、知名度で言えばオリコン100位にやっと入る位の歌手と同程度の知名度(余計わかりにくいですか?)だった頃の話になります。
家康が若かりし頃から、三河地方の武士は「三河武士」と呼ばれ屈強な武士軍団として非常に有名でした。
でもって、この地域は3つの川に囲まれている事から湿気が多くモノが腐りやすい土地柄。
それを防止する為に味が濃いものが作られるようになり、自然と「濃い味」が好まれる土地柄になっていったんですね。
でもって、この土地で発展した八丁味噌は味も良く、オニギリ等に入れればとても長持ちした為、三河武士の「戦用の携帯食」として非常に重宝されたのでした。
ですが、味噌には抜群の栄養成分、酵素などが含まれていますので、味が良くて長持ちするだけにとどまりませんでした。
「なんら、この味噌食べると戦に出ても疲れねーもんで、なんが力がでるだぎゃあ(名古屋弁というより、もっとコアな三河弁)」と兵隊さんが言ったかどうかは定かではありませんが、とにかく疲労軽減や馬力増強に味噌が役立っていた事は間違いがないようです。
そんな経緯を経て、名古屋の発展に合わせて名古屋とその周辺地域の味噌文化は発達。
現在の「名古屋=味噌おかず」という文化が定着したのだそうです。
家康が天下を取ったのも味噌のおかげ?
そう考えると色々と面白い事が想像できます。僕は妄想が好きですが、「味噌があったから家康は天下を取った」という仮説はわりかし間違っていないと思っています。
だって、昔の戦では「兵糧」は全てを決めるキーワード。長持ちするだけでなく、味も良くて栄養豊富、疲労軽減や体調維持に役立つ酵素や乳酸菌も豊富に含む良質な味噌を持っていた家康が天下と取るのに有利だったという仮説は、きっと池上彰さんも「いい考えですね!」と言ってくれるはずだと思っています。
味が濃い割にもたれなく、お腹が快調になる名古屋めし
そういえば名古屋に出張に行くと、他の地方に行った時よりもお腹も快調、体調も良く、食べ物が特に美味しく感じるような気がします。
朝は当然、赤だし味噌汁で始まり、昼は味噌煮込みうどん、おやつに味噌クッキーを食べて晩御飯は味噌カツ。
東京でこんな食事をしたら胃がもたれて仕方がないはずなのに、不思議とお腹はスッキリです。
自分の住む地域にもこういう「味噌攻め」の食文化があれば嬉しいのですが、日本全土を見渡してもここまで味噌攻めにしてくれるのは残念ながら名古屋だけ。
ですが、味噌の良さを知り尽くしている僕は、名古屋に行く用事のない時は味噌と同じ麹菌由来の「なかきれい酵素」を飲んで、名古屋状態の胃腸をキープするようにしています。
「日本最大の田舎」
「東西文化の分水嶺」
名古屋を評するキャッチコピーは様々ありますが、僕は「味噌ファンの聖地」というイメージが広まればいいのになあと思っています。