バラナシからデリーへの列車で本に目覚めた僕は、
デリーの駅に到着しました。
デリーでは、バラナシで情報収集し、駅前に
バックパッカー向けの安宿街があることをわかって
いたので、そちらの方へ向かって歩き始めました。
そこはメインバザールという名のストリートだったと思います。
デリーでは、今後のパキスタンやイランの情報を収集したくて、
密度の濃い情報がほしかったため、日本人のバックパッカーに
有名な宿のドミトリーに泊まりました。
ホテルの名は忘れてしまいました。
そこのドミトリーには、10人くらい入れるのですが、
全員日本人という状態で、これが今後の情報にとても
役立ちました。
ちなみにここはニューデリーではなくて、デリーです。
インドにきて3週間くらいがたっていたと思うのですが、
果敢に現地の料理をとっていたのですが、
ここにきて、ついに僕の胃袋はインド料理に悲鳴を上げてしまい、
ここから残りのインドの日々は中華料理に助けられるのでした。
この旅では幾度となく、チャイナタウンや中華料理屋に
救われました。本当に中国の偉大さにはびっくりしたのを
覚えています。
このデリーでは、観光もそうなんですが、
トルコのイスタンブールまでいくために、途中通らなくては
ならない、パキスタン、イランのビザを取得する大きな目的がありました。
ビザの発行に1週間くらいかかります。
しかも、イランのビザは、隣国のパキスタンではとれないという情報があり、
そのためにわざわざ戻ってきた人もいました。
ここデリーでしっかり取得しておく必要がありました。
時間がかかるので、デリーについた日に、
申請をしようと、メインバザールから、
日本大使館に行ってくれとリクシャーに乗りました。
すると、行けども行けども日本大使館につきません。
このときしまったと思ったのですが、時すでにおそし。
せめて地図をもって、場所を把握しながら乗るべきだったのですが、
ついてすぐだったために準備不足。
するとあやしげな土産物屋の前に到着。
そして男たちに囲まれるというありさま。
もう最悪です。
このときは本気でリクシャーの運ちゃんにけりをいれ、
また必死で走ってにげました。
日本語で「しばくぞおまえら」、「えーかげんにせーよ」
などありとあらゆる言葉をさけびながら。
そして、ある程度いくと、もう追いかけてはこなかったのですが、
またここがどこなのかわかりません。
リクシャー恐怖症になった僕は、ここで、しかたなくタクシーをとめ、
日本大使館に行ってくれと頼みました。
何ルピーか忘れましたけど、交渉をして乗り、
今度は無事日本大使館にはついたのですが、
今度は、運ちゃんがルピーではなくてドルだと言ってくるしまつで、
ほんまに油断もすきもありません。
強引にルピーを渡して、僕は日本大使館にやっと到着したのでした。
つづく。