高山病に罹った僕は、ラワール・ピンディに戻りました。
というのも、3カ月で4カ国を周る旅は、すでに1カ月半が過ぎていたのです。
もうそろそろ、イランに入らなければなりません。
目指すは、パキスタンの中央に位置する街、クエッタ。
直行の列車もバスもないため、乗り換えを繰り返し、丸2日かけて向かいます。
ところで、バックパッカーには暗黙の掟があります。
――すなわち、「飛行機は使わない」という。
しかし、ここへきて日程がカツカツになり、しかも外の気温は50°C、とどめに高山病です。ここは大事を取るべく、僕はクエッタ行きの格安航空チケットを入手することにしました。
ところが、いざチケットを取ってみると、氏名欄には「Mr.モハメド」の文字が。
…………誰やねん!!
僕が「名前が違うぞ」と言うと、旅行会社のおっちゃんは「ノープロブレム」と一言。「モハメドやぞ! 顔見ただけでバレるやろ!」などと思いつつも、会社の人がそう言うのなら……ということで、その日は手続きを終えました。
はたして当日、1時間ちょっとのフライトを終えた飛行機は、無事にクエッタに到着しました。空港では、パスポートチェックも一切なし。もしかしたら、乗客全員のチケットに「モハメド」と書いてあるのでは……?
何はともあれ、クエッタに降り立った僕は、ホテルを目指したのでした。
バックパッカーが集まることで評判のホテルに着くと、中庭では10人ほどの日本人がおり、夕食後の一服中のようでした。僕が挨拶に行くと、「お前、どこから来たん?」「こんな時間にバスはないぞ?」などと、口々に尋ねてきました。
「飛行機で来たんだ」と言ったときの、周囲に走った衝撃!
その瞬間から僕は、「へたれバックパッカー」の称号を授かったのでした(笑)
けれどそこは、転んでもタダでは起きない関西人。
僕は「俺、へたれやから!」をネタにして、すぐにみんなと仲良くなりました。
そこにいる日本人客の中では僕が一番年下で、しかも病み上がりだったせいか、みんなに可愛がってもらえました。胃腸をやられていた僕のため、周囲に1軒しかない中華料理屋を選び、毎晩、一緒に通ってくれたのです。僕はお礼に中庭でパチカの演奏会を開き、楽しい時間を過ごしました。
体力も回復してきた、ある日のこと。
僕が「そろそろ国境を越える」と話し出すと、みんなの顔が心配そうに曇ります。
――そう、彼らはプロのバックパッカー。
砂漠を走り抜ける、国境越えの夜行バスが、どれだけ過酷かを知っていたのです……。
(つづく)