バム城で妄想に耽った僕。
次はイラン最大のモスクを訪ねることを決めて、イスファハンへ向けて出発しました。
イスファハンまでは、バスで7時間ほど。
移動時間は苦になりませんが、大変なのはバスターミナルです。
――そう、イランでは文字も数字も読めないので、完全にお手上げ状態!
でも不思議なことに、バスターミナルでもマーケットでも、必ず僕を助けてくれるイラン人がいるんです。彼らは一様に日本語で話しかけてきて、「昔、上野にいました」と挨拶してくれるんですよね。
“上野のイラン人”と聞いて、引っかかる読者さんもいるのではないでしょうか。
過去、1990年頃の上野には、たくさんのイラン人がいたのです。
イラン・イラク戦争後、経済状況が悪化したイランでは、多くの若者が日本へと渡ってきました。彼らはなぜか上野に集まり、それによって「上野のイラン人」という言葉が生まれたのです。
ところが、92~93年頃に不法滞在者の一斉取締りが行なわれ、彼らの多くは祖国へ強制送還されてしまいました。当時、高校生だった僕も「上野のイラン人」という言葉はよく聞いていたため、そこでピンときました。
――そうなのです。イランで出会った彼らは、その当事者たち。
行く先々で僕の前へ現れて、「困っていることがあるなら手伝うよ」と話しかけてくるのです。
僕は最初、警戒しました。でも彼らは親切にしてくれるだけで、何の報酬も求めません。「イランで日本人に出会うことは珍しいから、懐かしくて嬉しいのだ」と、みんなそう言うのです。
現に、彼らのガイドは本当に助かりました。そのうちに、バスターミナルではイラン人が話しかけてくれるのを待つようにさえなりました。……だって、いないと困るんですもん(笑)。イランでは、彼らのお世話になりまくりでした。
さて、肝心のモスクの話です。
イスファハンで見たモスクは本当に大きく美しかったのですが、20歳の男子の目には、バム城ほどグッとくるものではありませんでした。……実は、訪ねる前からそんな予感はしていたんです。ガイドブックが薦めるからと言って、無理に観に行く必要もないな、と思いました。
そもそも、旅の目的って「観る」ことではなく、もっと内面的なものだと思うんですよね。
――明日への答えを見つけにいく、みたいな。
イスファハンでは、モスクよりも、上野にいたというイラン人たちが印象的でした。彼らは出稼ぎに来た日本で、明日への答えを見つけたのでしょうか。見つけたからこそ、僕にも優しくしてくれたのでしょうか。
実際のところはわかりませんが、今となっては、ただ感謝するのみ! です。