今回の日本FOOD紀では、おなじみの“あの”発酵食品をご紹介。

 

それは、ずばり「納豆」です!

 

日本が誇る発酵ソウルフードですが、好みが分かれる食べ物でもある納豆。好きな人はとことん好きである一方、嫌いな人は「生理的に無理!」なんてレベルで苦手な人もいらっしゃいます。

 

納豆と聞くと、真っ先に思い浮かぶのは水戸納豆ですね。
そう、今回ご紹介するのは、茨城県が誇る特産品「水戸納豆」です。

 

藁と大豆の出会い――。
すべてはここから始まった、永遠の発酵ストーリー。

 

ちなみに、茨城県の正しい発音は「いばらきけん」です。「いばらぎけん」で広まっていますが、正しくは「いばらき」だという……。

 

日本独自の食文化「納豆」

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国産高級納豆としても有名な、水戸納豆。

 

しかし、先ほども書いたとおり、独特の味や食感に忌避感を覚える人も少なくない食べ物です。最近は、小粒や引き割り、発酵臭を抑えたものなど、食べやすく改良された納豆も多く出てきましたね。

 

そんな納豆の歴史を紐解いてみると、実はその発祥がいまだ謎に包まれている、不思議な食べ物でもあります。

 

一説によれば、弥生時代には「納豆のような食べ物」があったとか。大豆を含めた豆類やナッツ類に穀物、そしてイモ類を合わせて、「ネバネバした食べ物」を生で食べていたという記述があります。

 

藁は縄文時代から生活に使われていたそうですから、何かしらの偶然で煮豆と藁が出会い、自然発酵によって納豆の原形ができあがった可能性もありますね。普段から「ネバネバしたもの」を食べていたからこそ、それを抵抗感なく食べられたと考えることもできます。

 

水戸納豆の歴史は?

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では、水戸納豆の話に戻りましょう。

 

関東より北の地域では、武士の棟梁として活躍した八幡太郎義家の伝説が今も数多く残されています。時は1083年(永和3年)、今から約1,000年以上前まで歴史を遡ります。

 

奥州平定に向かう八幡太郎(源)義家の軍勢が、常陸国で宿泊・休憩をとりました。そのときに同行していた家来が、本来であれば馬の飼料用に作った煮豆の残りを藁に包んで持ち歩いていたところ、豆が糸を引くように変化していたそうです。

 

――そう、藁に包んでいたことで、豆類が自然と発酵していたのですね。

 

この家来は勇気を出して、なんと一口食べてみたそうです。実際に食べてみると、見た目に反して味は良く、さらに義家に献上すると、「これまたうまい」と大変喜ばれたそうです。

 

煮豆と藁が出会ったことで生まれた、新たなフレーバー。

 

こうして誕生した水戸納豆は、将軍にも納められるようになり、「将軍に“納”めた“豆”」=「納豆」として、名前が変化したという説が有力です。

 

水戸のご老公から現代へ続く、“つながりの輪”

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水戸納豆で有名なエピソードと言えば、「黄門様」で有名な徳川光圀公にも関わりがあるそうな。徳川光圀は有事に備え、納豆の製造を幅広く進めていたそうです。

 

そして現在、水戸納豆はお土産品としてはもちろん、普段の食生活にも馴染んでいます。

 

明治43年に創業した老舗・笹沼五郎商店の「天狗納豆(わらつと納豆)」は、独特なパッケージも含めてお土産品として人気が高い一品です。昔ながらの藁に入った納豆は、現代では珍しいですね。

 

普段はプラスチックや紙ケース入りの納豆を食べている人も、ぜひ一度、本格的な「藁納豆」を食べてみてください。粘り・香り・旨みが俄然違う、新たな納豆の一面を発見できると思いますよ!

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